記念講演会レポート

  いわさきちひろ黒姫山荘オープン記念講演

「母いわさきちひろと黒姫山荘の想い出」

講師 松本猛氏(安曇野ちひろ美術館館長)

1999年7月10日(土)14:00〜黒姫童話館「童話の森ホール」

踊るカーレン

 
行ってきました

7月10日(土)午後2時から黒姫童話館内の童話の森ホールで開かれた講演会に行ってきました。ちひろさんのご長男・松本猛氏のユーモアたっぷりのやわらかい口調で、場内は終始暖かい雰囲気に包まれていました。当日、朝から行われた山荘の柿落としのセレモニーに主賓としてご出席され、そのまま講演会が開かれたということで、旧来のご友人がたくさん詰め掛けられていたためか、少々テレ気味の松本さんでした。

昔は可愛かった

「いわさきちひろの描くこどもが可愛いとすれば、私が可愛かったということになる。」と、冗談まじりで話しはじめられた松本さんでしたが、事実赤ちゃん時代にちひろさんの「モデル」として多くの作品に登場されています。「母の描く女の子は、おそらく自画像」ということで、特にモデルはなかったそうです。そう聞いて改めて見ると、確かに女の子はちひろさんに、男の子は松本さんに似ているんです。

余計なものが描かれていない

美術評論家でもある松本さんが、「母の絵」について「背景のない絵が何を意味するのか」という点について触れられ、「どう受け取るかは見る側の自由」である、その「自由」の部分を残しておきたいという作者の意図では、と述べられました。ちひろさんの絵は、あえて画面いっぱいに塗り潰さず、余白の部分が残っている画風が印象的ですね。

母の絵を嫌いな人も多い

余白があることについて、「母の絵を嫌いだという方は、おそらく白い眼のこどもが怖いのだと思う」とも話されました。確かにちひろさんの絵には、黒い眼のこどもと、白い眼のこどもが描かれています。そこには、「あえて白い部分を残す、という画風に通じる意図が感じられる」とされ、「何も見ていない、焦点が定まっていない状態、つまり自分自身を見つめている瞬間を描きたかった」のでは、という見解を述べられました。そこにある風景を見ているのではなく、その場に置かれている自分を客観的に見る。女の子がちひろさん自身だとすれば、そこにある幼い頃の自分の姿を見ているわけで、納得のいく話です。

都会のこどもと自然のなかのこども

「わらびを持つ少女」(このページに貼ってあるチラシの絵)の絵を見て、より共感できるのは田舎に住むこどもたち。わらびを摘んだ時の手の感触、草原に吹く風の匂い、それは都会のこどもたちには分からない体験なんですね。「大人になってちひろの絵に憧れるのは、幼少期に出来なかった体験が、そこには存在するから」・・・そうか、ちひろさんの絵が好きな人は、その世界に憧れているのかもしれません。

母の性格

松本氏が学生の頃、学生服が嫌いでいつも私服を着て登校していたのを、先生に注意されたことがあったそうです。「その時母に相談したら、自分の正しいと思ったことは貫きなさいと言われた」そうで、世間体にとらわれない生き様が偲ばれるエピソードを披露して下さいました。そして列席していた町長をはじめお役人の面々に、「その背広は形にとらわれた意味のない風習ですね。皆がやるから自分もやるというのでは、新しいものは何も生まれない。町長が率先して形を壊して行かなければ・・・」と手厳しいお言葉もあり、会場は爆笑の渦となりました。しかしまた、その半面「私が高校生の頃タバコを覚えたのを母が気付いて、私に家庭教師を付けた」のですが、後日その家庭教師から聞けば、「オレはおまえのスパイを頼まれたんだ」という真実を知らされ、母の別の面を垣間見たとも話しておられました。一見、放任主義かと思いきや、やはり母親として我が子のことは気になる普通の「お母さん」だったんですね。

好きな絵をひとつ決める

「どんな絵も、構図がどうだ、表現法がどうだ、と難しいことを考えて見たら、絵が嫌いになります。展覧会に行ったら、ひとつ自分のお気に入りを探してみましょう。」そう、変な理屈は必要ないのです。ただ何となく気になるとか、この絵の雰囲気が良いなあとか、漠然とした気持ちで絵を好きになるのが、永く付き合えるコツなのかもしれません。

いかがでしたか?少しでも、ちひろさんの素顔を知っていただくことが出来ましたでしょうか。これからも、ちひろさんと皆さんをつなぐお手伝いをして行ければと思っています。(レポートの感想をお聞かせ下されば幸いです。)

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